Till Mar.3

Berryz工房のことを書いてみます。

徳永千奈美と閑吟集

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今回は超どうでもいい記事になります。レポでも解説でもないただの私の考えたことを…。

 

 

ある日徳永さんがラジオで発言したこれ↓

徳永<Berryz工房、もう7人中5人が二十歳じゃん
菅谷<うん
熊井<そうだね
徳永<だけど千奈美はね、ずっとふざけてたいの
熊井<う~ん
菅谷<え~?
徳永<そりゃステージ上ではちゃんとしっかりやるよ
徳永<だってその楽屋裏とかでもっと何か、みんなでワイワイふざけたいの。だけど最近さぁ、けっこうみんな大人になってきたからかさ
菅谷<フフフ
徳永<ちょっと落ち着いてる時間もあるじゃん

「ずっとふざけてたいの」…。これすごい言葉だと思いませんですか?これ言った時千奈美20歳ですよ…?

 

 

唐突ですが、私は閑吟集が結構好きです。

そして千奈美の言葉や行動から、閑吟集を思い出すのですよ。

平安〜室町時代の平民の歌を集めた閑吟集。高校時代は入試には多分出ないし、一回通して読んでからは開かなかったし、探してみたけど岩波の文庫はどっかにやっちゃって手元にない…どこ…。

でも大学に入ってなんとなくもう一度読んだら、これ本当に良い歌ばっかり。源氏物語伊勢物語とかに出てくる歌は貴族が詠んだ歌だから、当然技巧がすごいし、知性があるのに対して、閑吟集はどちらかと言えば普通の人が詠んでるから、そのぶん味があるというか、共感しやすいというか。あと小歌だからおなじみの5・7・5・7・7ではなく、75・75が多い?多分…。

編者は不詳で、作中では「ここにひとりの桑門(世捨て人や沙門のこと)あり」と自称。歌集や説話集にありがちなパターン。

閑吟集に収録されている歌のほとんどは恋愛関係の歌なんだけど、なんとなくやっぱり貴族が詠んでたのよりも直截的にゲスい感じがしてそういうとこも結構好きです。あと例えば、

『一夜来ねばとて とがもなき枕を 縦な投げに 横な投げに なよな枕よ なよ枕』

−大意『あいつが一晩来ないってだけで、罪のない枕にめっちゃ当たっちゃった ごめん枕ー、本当ごめん枕ー』

とか面倒くさい歌も多い。他にもすごいとんでもない歌もあって面白いから読んでみてくれよな。

 

 

本題で、おそらく閑吟集の中で有名な54、55番の

54『くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して』

−大意『くそ真面目な人なんて見てられない。夢みたいに超儚い人生で、悟った顔しやがって』

 

55『何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え』

−大意『真面目くさっても何にもならない。人生って夢みたいなもんだし、狂った方がいいよ』

 (本が手元にないので大体こんな意味っていう訳をつけました。一応日文の人に見てもらったから大きく間違ってはないと思う…)

 

っていう歌。これらは恋愛の歌ではなく、人生観詩というか、禅の世界とか関係あるらしい?けど、そこは全く知識がないです。

そんなことより、夢の夢の夢の世をっていう所、とても良いですね。3回も「夢」って言ってるわりに、意外と現実的な歌っていうギャップ。

これは遊郭のような場所で、女の人が男の人に「遊んじゃおうよ〜」的なニュアンスで囁いた言葉、っていう話をしてた先生がいたけど、この時代の庶民が行く遊郭の女の人が歌詠めたの…?多分酒の席で男の人が酔っぱらいながら詠んだ歌だと思うんだけど私文学部じゃないし違ったらごめんなさい。

ここで出てくる真面目っていうのは、「賢ぶって楽しもうとしない」的な意味だから、所謂真剣に何かに取り組むことを指してるわけじゃないよ。そもそも「狂う」っていうのも、多分当時の庶民は実際には狂うなんてことはあまりできなかったからこそ、こういうの夢見る所があったんだと思うけど。

「1度の人生で、その時その時をとっっても良いものにするために」という気持ちがこもった歌なんだと思う。藤沢周平司馬遼太郎も同じように言ってた。

千奈美の言う「ふざける」はこの「狂う」に近い感覚なのでは?と考えた。一瞬一瞬を最高にするためにふざける、という説。

 

加えてここの「狂う」っていうのはただ享楽的にぱーっと楽しむっていう意味もあるけど、やっぱ一生懸命、必死で何かに向かうっていうこと。絶対そう。バカ真面目で悟った人っていうのは、一生懸命何かに向かうことがない人のことを指してるんだよね。これ絶対そう(私感)。

岩波には確か「狂え」=「楽しく暮らせ」と書いてあったと思うけど、「現実を肯定して楽しく人生を全うする」的な解説が冒頭にあったので、あながち私の私感だけでもないはず。はず。

千奈美はそんなことまで考えてないと思うけど、でもこれ絶対そうなの。意識的にふざけるっていうのはある意味楽しく生きることに一生懸命取り組んでるってことでしょ!(私感)

 

そして、前述した通り閑吟集は庶民の歌集。源氏物語等に収録されている歌が「風流」と言われるのとはまた違う。いやいや、閑吟集も季節の言葉とかたくさん使ってあって超風流でしょ!と言われそうだし、確かに今の感覚だとそうなのかもしれないけど、実際昔歌でいう風流は貴族社会からしか生まれないものだ、という大別には確信がある。所謂「風流」は家産官僚制に触れている人じゃないと出せないものだったと思う。だって風流って、って書こうと思ったけどそんなに関係ないのでやめます。

今で言えば、ちょっと違うけど、源氏物語とかは作家が書いたもので、閑吟集は庶民によってたくさんファボられた庶民によるtweetみたいな。文学的、芸術的な評価を受けるわけじゃないけど、たくさんの人を頷かせる。だから閑吟集は多くの人に愛された。

 

同じく千奈美は、とてもじゃないけどアイドル然としてるわけでもないし、世間的に見ればトップアイドルでもない。だけどこの「ふざけてたい」っていう言葉や気持ちって「馬鹿だな〜」という感想とともに、多くの人を納得させ、また多くの人に愛される力を持ってる。さすがジーニアス!

  

やっぱり千奈美がある日言った、「だけど千奈美はね、ずっとふざけてたいの」っていう言葉は閑吟集の詠み人たちの感性と似てるような気がしてならない。

いつもその言葉を思い出すとそうそう、と頷き、千奈美がステージや舞台裏でふざけているのを見ると、今日も千奈美は一生懸命やってるな、と感じるわけです。

 

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(※解釈や時代背景に勘違いがあったらすみませんすみません)

以上になります…。卒論やりますね…。